2013年1月31日(木) |
駅日誌(1969) 「掛詞」 |
日本古来の文化に「掛詞(かけことば)」があります。言ってしまえば「駄洒落」の一種です。平安時代の和歌の解説を見ると、非常に凝った物もあり、唸らされます。というわけで、今日は最近思い付いた「掛詞」を。
年末にズーラシアに行った事は日誌にも書きました。そのズーラシアのマップを見て思い付いたものです。
「ズーラシアにはオカピが居るが、キリンは居ない」
ズーラシアに行った事がある方は御存じの通り、キリンは居ません。その代わりに居るオカピは、キリンとシマウマの中間のような動物です。どこが掛詞なのかって? こちらの写真を御覧下さい。
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▲ほら、キリンが居ないでしょう。
ふと思ったのですが、もしかしたら、キリングループは、キリン=ジラフが居る動物園を集中的に応援して居るのでしょうか……?
キリンという単語でもう一つ思いついてしまいました。昔の松本引越センターのCMの台詞そのまんまなのですが。
「キリンさんが好きです。でも象さんはもっと好きです」。
CMでは、子供が象のマークの引越社から掛かって来た電話に出てしまい、無邪気に言う言葉です。これ、同じ台詞でも、妙齢の女性がビールのジョッキを掲げながら言っていたら意味が変わってくるよなあ……
下ネタになってしまいました。
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2013年1月29日(火) |
駅日誌(1968) 「Noise」 |
不快なノイズというものは誰にでもあると思います。
例えば、発泡スチロールを擦り合わせる音。釘でガラスを引っ掻く音。黒板にチョークで字を書いていて爪が黒板を擦ってしまった時の音。
例えば、クラクション。踏切の警報機。目覚まし時計。
例えば、怒声。舌打ち。溜息。
例えば、階上の部屋の大きな足音。他人のヘッドフォンの音漏れ。アスファルトの掘削。
例えば、貧乏ゆすり。鼻を啜る音。咳払い。
例えば、いびき。歯ぎしり。寝言。
都市であればある程、物理的に人と人の距離が短ければ短い程、或いは、心理的に人と人の距離が近ければ近い程、それらのノイズに晒される頻度が高くなります。
電車で隣に座っている人のヘッドフォンから漏れる音に私が苛々して私が舌打ちをすれば、ヘッドフォンとは反対側の隣に座っている人が溜息を吐いていたりするのでしょう。そして、その溜息に貧乏揺すりをする人が居て、その貧乏揺すりが気になるので、音楽のヴォリュームを上げる人が居て……∞Loop。
ネガティブな連鎖を書いてしまいましたが、きっとポジティブなものも同じような連鎖を起こす筈だと信じたい。Loopの果てにあるのは……?
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2013年1月27日(日) |
駅日誌(1967) 「円空」 |
東京国立博物館に、特別展「飛騨の円空」を観に行きました。
▲トーハク君&ユリノキちゃん。後ろの垂幕が今回の特別展と、謹賀新年です。
円空とは、木喰と並び称される、独特の木彫りの仏像を沢山彫った僧侶です。その仏像は、見ようによっては下手糞とも言えます。が、他のどの仏像にも似ていません。どちらかと言えばアニミズム信仰の作品のような感じで、アフリカや南米の民芸品や、アイヌの木彫り人形のような雰囲気を持っています。これだけ大量の円空仏が一堂に会するのは非常にレアな事だと思います。
今回観た展示の目玉は、両面宿儺、立木から彫った不動明王、歓喜天あたりでしょうか。簡素化されて、それでいて表情や生命が感じられる仏像群です。
両面宿儺とは、日本書紀に出て来る前後に顔を持つ怪物なのですが、それを神格化した存在です。円空仏では、正面の顔の横から後ろの顔が出ているという、特異なスタイルです。立木から彫った不動明王は、それこそ、生えている木によじ登ってそのまま彫り始めた作品で、巨大です。歓喜天は、ヒンドゥー教のガネーシャが仏教に取り込まれた神で、象の頭をした男女一対が抱き合っている像です。よく秘仏にされている仏像なのですが、今回の物もまさに秘仏。7年に一度、それも正面からしか見られない物なのですが、今回の展示では360度見られます。掌に乗りそうな小さい仏像なので興味が無い人にはイマイチかも知れませんが、レア度は高く、これを観ただけでも行った価値はあると思いました。
他にも、如来、観音菩薩、明王等の仏教でのメジャーどころあり、宇賀神や龍王、稲荷(獣面)等、異形の神も揃っており、円空仏にどっぷり浸かれます。御興味のある方は是非。
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2013年1月25日(金) |
駅日誌(1966) 「駆込寺」 |
困った時の神頼み? 困った時には藁をも縋る? 困って行き場所を失った人を受け入れる場所として、「駆込寺」という言葉があります。
現在は比喩的に使いますが、元々実際にそういう寺があったから出来た言葉です。鎌倉にある東慶寺、群馬にある満徳寺が有名だそうです。なのですが、更に元々は「駆込寺」ではなく、「縁切寺」だったのだとか。即ち、江戸時代には離婚は夫側からしか認められて居ませんでした。そんな中、飛び出した妻を匿い、妻側からの離縁状を出せる場所だったのが、「縁切寺」であり、「駆込寺」とは、弱者救済として離縁をするために掛け込む寺だったのです。
それと似たような「駆込」が流行っているそうです。3月に公立学校の教職員の退職金が減額されるそうで、その前に掛け込み退職している人が172人も居るのだとか。退職金を搾られる弱者が縁を切るために、駆け込んでいるわけです。
……なーんて言うとでも思ったか!! ただ単に損得勘定だけではないか!! そりゃあ、定年まで間が無い教諭はその方が貰いが良いという事なのでしょう。何だか教育者という立場にしては随分と下衆な印象を受けました。
いざ導入になったら、「駆け込み退職が多く出てしまったため、人件費抑制効果が出ました。これで、退職金を減額する必要がなくなりました」とかになったら面白いのになあ。そうなったら、駆け込んだ人はどんな態度に出るのでしょう。おっと、縁を切る為に駆け込んだくせに掌を返して復縁を迫るなんて事はないよなあ?
え? お前にそれを咎める資格があるのかって? 彼らの給金は我々が納めた税金から払われている事を御忘れなく!
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2013年1月24日(木) |
駅日誌(1965) 「免許」 |
皆様は覚えておいででしょうか? 2012年11月の駅日誌にて、普通二輪車(中型)の教習に行き始めたと書いていたのを。
ついに免許が取得できました。学科は自動車免許を持っているので免除、約二カ月の技能教習でした。こちらです。中央下方の表に注目。黒っぽくなって読みにくいですが、「普自二」の表記が増えました。
※プライバシー保護のため、画像を加工しております。
デジカメ写真を加工したものですが、色々な項目を消して、顔を隠そうとしたら、スケキヨみたいになってしまった。いつもの髑髏を使えば良かった……
それにしても、免許証ってこんなに沢山項目があって、他には一体何があるのでしょうか? 「中型」の隣には「普通」と「大型」なのでしょう。2007年に免許制度が改定になって、それ以前に普通自動車免許だった人は、中型(8t限定)になりました。2007年以降の人は自動車免許を取るとこの「中型」ではなく「普通」となっている筈です(運転出来るのは、5tまで)。
他には、大型免許、小型特殊免許、大型特殊免許、原付、小型二輪、大型二輪、二種、大型二種くらいが思い付きます。あ、多分中型二種もあるのか……これで12個。あと2個……? 船舶とか、セスナとか?
調べてみると、あと「大特二種」、「牽引」、「牽引二種」でした。そして「小型二輪」は、「普通二輪」と表示されて、「眼鏡等」の欄に「但し、小型限定」と入るようです。
尚、並び順は上段左から「大型」「中型」「普通」「大特」「大自二」「普自二」「小特」、下段左から「原付」「け引」「大二」「中二」「普二」「大特二」「け引二」となっています。ずらーっと揃えてみたくなりますね。コレクター魂をくすぐります。
だがしかし、それは深く険しい荊の道です。というのは、上位免許でカバー出来ている免許は、一旦それを失わないと取得出来ないのです。即ち、自動車免許を持って居れば原付(50cc)の運転も出来ますが、原付の免許は記載出来ないのです。揃えるには、免許を返上し一旦まっさらにして、下級免許から順番に全てを取得しないといけません。それは流石にやる気ないなあ……
中型二種免許は「中二免許」です。2007年の改定以前からのタクシードライバーは、ほぼ全員が公安委員会公認の「中二免許」なわけです。
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2013年1月23日(水) |
駅日誌(1964) 「国境」 |
外国で飛行機が落ちました。ニュースキャスターは嬉しそうに、乗客に日本人は居ませんでした、居ませんでした、居ませんでした。
〜THE YELLOW MONKEY「JAM」より〜
北アフリカのアルジェリアで日本人が殺されました。イスラム原理主義組織の犯行によるものだそうです。原因の一つは、フランス軍の隣国マリへの攻撃(白人による黒人への干渉)への反発。原因の一つは、アラブの春。これまで強権的な政権が押さえていた凶暴な連中が、民主化によって周辺国へと横溢。
ヨーロッパ人は古来もっと残虐な事をアフリカ人にして来ました。その痕跡は、地図を見るだけでも想像できます。世界地図でアルジェリアとマリの地図を御覧下さい。国境が直線です。自然にそんな国境になる筈がありませんね。ヨーロッパ人が我々の植民地はここからここまでだ、と協議して切り取ったわけです。アフリカ人にとって被害者意識が根強いのはしょうがないのかも知れません。
しかし、だからと言って、人質をとってそれを殺す事が正当化などされる筈も無く、特に日本人が殺されたのが腹立たしいのは当然です。冒頭の歌詞のように、吉井和哉は、日本人かどうかに拘る事に嫌悪感を抱いている様子ですが、そんな事を考えるのは日本人くらいなのだろうなあ……
日本人は、きっとアルジェリアでもヨーロッパ人や中国人のように厳しくは仕事を出来ていないでしょう。悪く言えば甘さがある事でしょう。それを、一緒くたに殺されたのは許し難いと思います。
さて、国境と言えば、正月に観た政治等を話題にしたテレビ番組で、目から鱗が落ちた事があります。
尖閣諸島や島根県竹島の件について「海に囲まれて歴史上国境紛争が乏しい日本人にとっては非日常の事だが、陸続きの国にとって国境紛争は、古来繰り返されている」というような話です。日本人と中国人(馬賊に悩まされて万里の長城を建造)や韓国人(中国と朝鮮半島の境界、38度線の南北の境界)に温度差があるのも頷けます。しかし、だからと言って、ほいほいとはあげられないのは、人質を殺す事が正当化されないのと同様なのです。
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2013年1月22日(火) |
駅日誌(1963) 「態と」 |
このなみだは、かしつのためなんかじゃない。こいによるもの……
「おいおい、いきなり恥ずかしい文章を書くなよ!」と思った貴方は、法学部ではありませんね? と、こう書けば、法学部出身の方はこれが掛詞だと気付いた事でしょう。即ち、ダブルミーニングの文章なのです。漢字で書くと、「この涙は、加湿のためなんかじゃない。恋によるもの……」と、「この涙は、過失のためなんかじゃない。故意によるもの……」と。
というわけで、本日の本題は、タイトルに「わざと」と書いた通り、故意と過失の話です。
迷惑な人が居て、その迷惑を指摘すると、「わざとじゃないではないか」と言い返して来る事があります。まあ、そうなってしまうのは、私の言い方のせいでもあるのですがね。
例えば、電車で座っている時に、目の前に立って私の膝の頭に紙袋の角を何度もぶつけて来る人が居たので、紙袋に膝蹴りをして、「膝に当たってる」と言ったら、そんな風になってしまいました。流石の私もぎゅうぎゅうに混んでいたら、膝に紙袋が当たったくらいで文句は言いません。持ち方を考えれば人に迷惑が掛からない場面での話です。
こういうシーンでいつも思うのは、「わざとではない」は免罪符にはならないだろう、という事です。そこで冒頭の「故意と過失」の話です。故意に人を殺した人と、過失……即ち、事故で人を殺した人とでは、そりゃあ前者の方が凶悪ですが、後者も罪なのです。
「わざとではない」と言い返す人は、きっと刑法に書いてある「故意犯」と「過失犯」についての記載の意図を、「故意犯よりも過失犯の罪を軽くするためにある」と捉えているのではなかろうか? 私はそうは思っていなくて、「故意に限らず、不注意でも罪として定めておく必要がある」と捉えています。立法主旨から言うと、こちらでしょう。
私が法学部に在籍していたのはもう遥か昔の話で、それから法律の仕事はしていないので、誤りがあったら御指摘を。
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2013年1月21日(月) |
駅日誌(1962) 「道具」 |
正月に新幹線で帰省したのですが、その車中で私の隣の男が、座席のテーブルにタブレット端末を乗せて動画を見て居ました。私はタブレットは持って居ませんが、なるほど、動画を見るのに良さそうだと思っていると、私のすぐ横の通路にチビッ子が立ち、物欲しそうにその画面を見ていました。
やがてそのチビッ子は通路を歩いて行き、それを目で追っていると、ちょっと先の方に見える男がラップトップPCで動画を見て居ました。そこでも立ち止まって画面を覗くチビッ子。
実はその男は、その動画の前にも地図やら何やらを色々開いて見て居たのでした。私はまだ触った事が無いWindows8のPCです。しかし、そのどのプログラムを開いてもチュートリアルが起動して居ます。ははあ、買ったばかりなのか、と。
「おいおい、お前のその羨むような観察は、そのチビッ子とまるで同じではないか」と言われそうですね。なりは大人になっても、メンタリティは子供と大差ないのかも知れませんね。
だがしかし、子供なのは私だけではないのです。タブレットの男は、「ルパン三世」のアニメを見て居ましたし、Windows8の男はお笑いを見て居ました。良い大人が最新鋭のツールのような顔をして持って居ますが、結局は玩具に使って居るのです。如何に良い道具でも、使う者次第なのです。
……スマートフォンで携帯国盗り合戦をやりながら、そんな事を考えて居りました。
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2013年1月20日(日) |
駅日誌(1961) 「銀幕寸評」
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終末に映画を見たので銀幕寸評です。下記タイトルの右にある☆は私の個人的は評点で、5ッ☆満点です。
「レ・ミゼラブル」 ☆☆☆☆
ミュージカル映画〜? ミュージカルなんて観た事が無いが果たして? と思っていたのですが、なかなかどうして、かなり面白かったです。尚、私は「ああ無情」を読んでいないので、筋書きは分からない状態(この映画が原作とどれくらい同じなのか、どれくら違うのかも分からない状態)です。
舞台は、フランス革命後の共和政と帝政(ナポレオン)の後の王政復古の時代です。主人公ジャン・バルジャン(ヒュー・ジャックマン)は窃盗の罪で捉えられ、懲役19年。仮釈放されますが、「危険人物」の烙印を押されて居ます。寒さに震える中、教会で救われて改心し、「仮釈放」の証明書を破り捨て第二の人生を歩みます。そんな中、市長まで上り詰めたジャン・バルジャンですが、刑務所の刑務官だったジャベール(ラッセル・クロウ)に執拗に追われ続けます……
当時のフランスの社会情勢の描写、伏線とその回収、効果的な演出等、シッカリした作りの作品だなと思いました。話の筋や人物の特徴が分かり易く、洋画でありがちな「あれ? こいつどいつだったっけ?」がありません。結構細かい伏線もあるのですが、それも分かり易く表現されています。
繰り返し出て来る歌に「Look Down」という歌詞が良く出て来るのですが、囚人が「上を向くな」というニュアンスで使ったり、貧民が「下々に慈悲を」というニュアンスで使ったりしていて、良く出来ていると思いました。
後半、反王政の学生運動が出て来るのですが、あのシーンを見て、演じている役者の風貌もあるのでしょうが、当時の革命運動って、パンクロッカーのムーブメントと似ているな、と。舞台が1970年代後半のイギリスだったら、まさに彼等はパンクスなのです。
全体的には真面目なミュージカルなのですが、「ボラット」、「ディクテーター」という辛口な笑いコメディアンである、サシャ・バロン・コーエンが下衆な宿屋の主人を演じているシーンもあり、そのパートがコメディパートみたいになっています(コメディパートでの描写も、後々本筋に大きく関わって来ます)。しかし、コメディパートよりも、ラッセ・クロウの所で何だか可笑しくなってしまいました……いや、真面目に演じていて、しかも演技も上手く、声も良いのに、彼はこれまでに色々な映画に出過ぎていて、会話で歌い出したりすると、何だか冗談をやっているみたいに見えてしまうのです…… |
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2013年1月18日(金) |
駅日誌(1960) 「雪達磨」 |
月曜日の大雪の後、まだ街には溶け残って氷結している雪があります。うちの近所には、雪で作った短い滑り台がありました。雪が積もると、雪で何かを作りたくなるのも分かります。雪だるまとか……
夕方、神田のあたりを歩いていると、大きな交差点に白くて大きな直方体が立って居ました。巨大な発泡スチロール? 否、雪です。横断歩道の向かい側を見ると、同じような大きさで何かを象った物が見受けられました。ほう、「神田小川町雪だるまフェア」とな。
その通りを歩いていると、他にも雪だるまや、これから雪だるまを作るのであろう直方体がありました。月曜日は大雪だったからなあ、ちゃんと保管しておけばこれくらいは出来るよなあ。しかし、その辺にある汚れた雪とは違って綺麗な雪です。
←巳年に因んだ蛇の雪だるま。
それもその筈、この神田雪だるまフェアは第12回。毎年やっているようです。群馬県の嬬恋村から持って来た新しい雪で雪だるまを作り展示し、他にも子供が雪で遊べる場所なんかも作るのだとか。近年、都心では雪が積もる事は珍しいので、こういうのがあると雪を体験出来て良いよなあ。19日(土)と20日(日)の2日間開催されるようです。興味のある方は行ってみたら如何でしょうか。
だがしかし! 今年はどうだ? つい先日、大雪を体験したばかりではないか。例年ならば雪を楽しみにしていた子供たちも「今年は良いよぉ」とか言ってしまうかも?
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2013年1月15日(火) |
駅日誌(1959) 「ワクワク」 |
ガリッガリッ……夜道では、日中に一度溶けかけた雪が再凍結しアイスバーンになっていました。滑って危ないというネガティブな部分もあるのですが、こういう道を歩くのはちょっと楽しくもあります。
車の轍に、タイヤの溝に沿って薄く立っている氷を踏んでガリガリするのが気持ち良いのです。霜柱を踏むような気持ち良さです。そう言えば、霜柱って、近年見ないなあ。霜柱が出来るような湿気のある土のある地面が周りに無いからでしょうか。
子供のような事を書いてしまいました……私の中にはガキっぽい部分が随分残って居ると思います。
実は、月曜日の昼に外を見て雪が積もっているのを見た時にはちょっとワクワクしました。非常に不謹慎だとは重々承知して居りますが、台風や地震もちょっとワクワクしてしまいます。非日常に心を惹かれてしまうのです。勿論、ワクワクなんて言って居られない場合もありますがね。
これまた不謹慎なのですが、人の喧嘩を見るのもワクワクします。電車に乗っていて「押した・押さない」で口論が始まると、ちょっとワクワクしてそっちに注目してしまいます。
私は性格が悪いんだなあ。しかし、そういったネガティブになってしまう場面で、その中からワクワクを見出すのは、精神衛生上は良い事なのかも知れません。実は、ストレスに心が押し潰され潰されないように、脳が防衛本能を発揮して脳内麻薬を出している作用なのかも知れません。
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2013年1月14日(月) |
駅日誌(1958) 「新成人諸君に告ぐ」 |
シン星人諸君に告ぐ!! 惑星(シン星)は、我ら地球連邦軍艦隊により、完全に包囲されている。無駄な抵抗はやめて降伏する事を勧告する。返答期限は、地球時間で24時間後である。それまで返答を待つ。繰り返す。惑星(シン星)は、我ら地球連邦軍艦隊により……
「シン星人」ではなくて、「新成人」ですね。失礼致しました。
今日は成人の日。各地で成人式が開かれたわけです。
成人など遥か昔である私は、昼頃にごそごそと起き出し、夜中に朧気に聞こえていた雨音が止んでいる事に気付きました。「雨は止んだのかな」と外を見ると真っ白。「雨が止んだ」のではなく、「雨が雪になった」のか。それにしても、かなりの積雪です。私が育った地元では毎冬こんな感じですが、東京では割りと珍しい。
▲こちらは夕方になってから撮った写真ですが、たっぷり積もって居ます。
こりゃあ、成人式は大変だなあ……と、思っていたら、ネット上にまとめられた記事によると、どうも今年の新成人のこれまでの人生は受難の連続だったようです。
1992年:誕生→バブル経済崩壊直後。
2002年:小学校高学年→ゆとり教育開始。
2008年:中学3年入試→大雨。
2008年:高校1年入学式→春の嵐で暴風雨。
2009年:高校2年修学旅行→インフルエンザ大流行で延期・中止。
2011年:高校3年卒業式→東日本大震災。
2011年:大学・短大等の入学式→震災の直後で自粛。
2013年:成人式→爆弾低気圧による大雪・暴風。
というわけで、駅員@地獄三丁目駅より、新成人諸君に告ぐ!!
前述の一覧を見ても分かる通り、諸君は「ゆとり世代」である。世の中には、諸君を一括りにして嘲笑う連中も居るかも知れない。だがしかし、わずか齢二十にしてこれ程の辛酸を舐め、これ程の苦難を潜り抜けて来た世代が他に居るだろうか!? 戦争経験世代には居るだろう。だが、1956年「もはや戦後ではない」以降の世代では、最も恵まれていない世代ではないだろうか?
その不遇の十代を生き抜いた経験値は、きっと将来「強さ」として活きて来るものと信じる!
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2013年1月11日(金) |
駅日誌(1957) 「文明人」 |
文明人と野蛮人の違いとは何か? 嘗て、先進国の人は発展途上国の人を「土人」等と言って馬鹿にして居ました。アフリカ然り、南米然り、東南アジア然り。だが、それらの民族にも当然、文明なり文化なりがあるわけです。それを当時の先進国の人が持つ偏狭な物差しでは測れなかっただけの話です。
話は変わりますが……
街で頭の弱そうな連中が地べたに座って居たりします。本来は、ああいうのを「土人」と言うのだろうなあ、と思います。嘗て「土人」と呼ばれていた人々も、もしかしたら地べたに座って居たかも知れません。それでも尻の下に大きな葉っぱを敷いたり、或いは、神聖なる場所には座らなかったりします。それは文明・文化なわけです。地べたに座る現代人の方が、よっぽど程度が低いでしょう。
電車に乗って居る時に、空いている時ならまだしも、混んで来ても足を組んでいる馬鹿が居ます。大抵は粋がっている低能男ですが、男女問わず居ます。今日も、隣に居た知らない女性がそういう座り方をして居ました。結構良い歳、なのに若作りしているような人です。そこで、意地悪な私は、敢えてそういう人に破壊力のある言葉にしようと「おばはん」呼ばわりした上で、「混んで居るのに足を組むな」と言ってやりました。
ん? そんな暴言を吐く奴こそが「野蛮人」だって? そいつは失礼致しました!
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2013年1月10日(木) |
駅日誌(1956) 「めCVS」 |
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2013年1月6日(日) |
駅日誌(1955) 「東京で正月」 |
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2013年1月5日(土) |
駅日誌(1954) 「実家で正月」 |
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