蝿の居ない店


 私の住む町は水が豊富で川が多い。子供の頃にはよく川にザリガニを捕まえに行ったものである。しかし、川が多いと、川の周りに蚊柱という蚊の様な小虫が群れた塊があったり蝿が多かったりして、不快感を持つ場合も多い。
 この様に、この町には虫が多いので、飲食店の店内にも小さな蝿が紛れ込み、店内を飛んでいる場合がある。それは当然の事、有り触れた事なので、不快ではあっても別段気にはしない。この町に住む住人全てがそうだろうと思う。
 しかし、最近この町に一軒の回転寿司屋が出来たのだが、そこには蝿が飛んでいない。普通は、鮮魚を扱う以上、こういった店には蝿が舞い易いのだが、この全国チェーンの店には、蝿が一匹もいない。私が行った時にたまたまいなかっただけなのかも知れないが、私は既にこの店に五回も行っているのだ。五回とも見ないのは、この町にしては極めて珍しい事である。店内を清潔にする事に、物凄く気を使っているのであろう。この姿勢に私は好感を抱いた。だから既に五回も行っているのだ。
 この清潔感に好感を抱いたのは、私に限らず、町の多くの者がそうだった様である。たちまち大盛況となった。その一方で、周辺の他の飲食店は客の入りが激減した。ほぼ開店休業状態である。やはり、今までは別段気にはしなかったが、虫は居ないに越した事は無かったという事だろう。

 ある日、いつもの様に妻とこの店で食事をしていると、地元の老舗寿司屋の大将が店に入って来て、
「こんな物は寿司じゃない! 皆さん、目を覚まして下さい!」
 と、騒ぎ出した。一瞬店が静まり返ったが、大将はすぐに取り押さえられ、連れ出された。確かに寿司屋の寿司には大きく劣るが、それなりに食えるしこの清潔感には換えがたいと思った。
 その日は、愛猫にと、最小の持ち帰り寿司を包んで貰って帰った。二人で川の堤防の上の道を歩いていると、案の定、蚊柱が幾つもあった。今日はうまくぶつからずに帰れた。風が吹いているせいで、逸れたのだろう。
 家に着き、愛猫ミケの前で寿司の小さなパックを開けた。今日は腹が空いていないのだろうか。後で食べるだろうと、そのままにして私達は就寝した。

 翌朝、寿司はそのままだった。一つも食べられていないというだけではなく、その周りには虫一匹舞っておらず、また、買った時と変わらぬ瑞々しさだった。朝食の焼き魚をミケにやると、ミケは、余程腹を空かせていたらしく、焼き魚にむしゃぶり着いた。それを見てから、私はあの店に行っていない。
                        (了)2005/06/05


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